魏の長寿文官、徐宣。
曹操の代から曹叡の代まで長く魏に仕え、68歳で引退を考えるまで現役だったというから驚きである。
この時代に定年という概念はなさそうだし、本人が強く願い出れば死ぬまで現役ということも可能なのかもしれないが、さすがに体が思うようにならなかったんだろうな。
神速を4にしたのは曹丕の船が転覆しかかってるときに、彼がいち早く察知して曹丕の元まで助けに行った逸話から。
陳矯と不仲だったらしいが、陳矯よりもよっぽど性格に難のある陳登には剛紀に任命されているのに、2人の間に何があったのか気になるところ。
【基本】
【血縁】
【列伝】