荀采
陰瑜の妻・・・って言われても、陰瑜って誰じゃー!
でも荀爽の娘って言われると不思議と納得できる。
夫に先立たれ、郭奕の嫁候補となり再婚するも、夫と同じ墓に入れない無念さから縊死した人とのこと。
郭奕から見れば、美人を娶って喜ぶのも束の間、なんか言動がメンヘラっぽくて気づけば死んでいた・・・って感じなんだろうな。
烈女と言えば聞こえはいいけど、現代人からすると「あの郭嘉の息子と再婚できたんだし、なにもそこまでする必要は・・・」って思う。
これって結婚観の違いなのかな?
例えば今の日本って恋愛に関しても自由恋愛だから、恋愛するもしないも本人の勝手になる。
だけど平安時代は妻問婚ってお見合いに近いシステムを採用していた。
これは女性側の親が結婚相手を見定めた後、男性が何度か女性に会いに来て、何度かコミュニケーションをとって相性を見る…ってシステムだから一見ミスマッチは防げそうに見える。
でも実際は男尊女卑だから、とにかく未婚の女性は結婚することを半義務化されてたらしい。だからあの人の亭主は金持ちでいいナーとか嫉妬する人も少なくなかった。
平安時代と三国時代じゃ時代が全然違うけど、三国時代の結婚事情も似たような悩みがあったのかもしれない。ましてや荀采は一途な人だから、「人が好さげなら誰でもいいや!」って風潮に疑問を抱いていたのかもしれない。
そう思うとかわいそうな気もするけど、死後に陰瑜と同じ墓に入れられ、彼女の悲願が叶ったのかどうかは気になるところ。
ところで、昔の男性って今みたいに身長高くなくて、だいたい160-170cmがデフォだったらしいから今の男の人が平安時代に生きていればモテモテだよね!
なんせ、高身長のイメージのある坂上田村麻呂でも176cmだったくらいだし、身長が高いと戦闘でも有利じゃん。生まれる時代って大事なんだなあ・・・と。
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